自閉症児と歩む

はじめに

 どうしてこのブログを書こうと思ったかというと…

 私の子供達2人がまさかの自閉症という診断をされ、2歳から約5年間の療育を受けることになりました。出来る限りのことをやってきた結果、後天的に人間関係の対応を学び、精神面のサポートは必要ですが知的な遅れもなく普通の小学校に通えている奇跡を体験しています。

 小さな可愛い野獣たちはかわいい。でも、自分の努力では修正できないもどかしさ、苦しい長期間におけるトンネルをくぐり(今もくぐったまま!)、今は面白いエピソード満載だわと心の余裕が出来ている。その話を楽しみにしている人達もいることに最近気づき、特別な子供を授かったことに、将来が楽しみとさえ思うようになった。 

 悩んでいる同じ自閉症の子供を持つご両親の気持ちを、希望が持てるように手助けをしたいと思ったこと、私の経験が誰かのお役に立てたらいいなと思い、当時の思いや家での取り組みなどを少しずつ書いていければと思います。

家族紹介。

夫39歳 製薬会社のMR 

私42歳 看護師          

子供は小3長女(A)、小2長男(S)、3歳次女(M)の3人

長女A 8歳 

   自閉症スペクトラムの診断あり。たぶんADHDもあると思われる。

   きっちりかっちり型にはまってないと嫌なタイプ。

   うまく書けなかったり、100点以外のものは許せない。

   年長さんの時はひらがな、1年生の時は線引きがうまく書けなくて、怒っちゃって大変だった。

   言葉通りの解釈をするので、抽象的な言葉や空気を読むということはできない。

   読書が好き。1回の指示でやっと3つまで行動できるようになってきた。

   話す文章が長くなると理解できないことが多い。

   とても優しい性格。

   片付け、用意、宿題は家に帰ってくると忘れちゃうのか大体やってない。

   悪気はないけどとにかく忘れっぽい。

長男S 7歳 PARS 14点(1年生の時)。

   ASD傾向を示す点数は基準より1点高く出ているが、診断はついていない。

   先生より、「もうちょっと様子を見たほうがいい」とのことでした。

   長女と正反対な性格でいつもおチャラけている。

   長女は表情がかたいがこっちはヘラヘラ。   

   同じ言葉でも気持ちで大笑いしたり怒りだしたりで、怒りスイッチがどこで入るか分からない。

   3歳4歳頃は思い通りにならないと怒り、泣き、大声で叫び続けるから大変だった。

   薬の処方の検討までこの子はいったなあ。結局は内服していないけど。

   ゲーム、YouTubeが大好き。動いているかしゃべっているかのどっちかしかない。

   ゲームのためなら片付け、用意、宿題はすぐにできる。

   こっちの話は大体聞いてない。

3歳児M 

   奇跡的に普通!お世話好きで天才かと思ってしまう。

   今までが大変すぎたから普通なのかもしれないけど、育てるのがほんと楽。

   泣くことも怒ることももちろんあるけど、

   切り替えも早いし自分の心に踏ん切りをつけられる。

   大人でもできてない人多いのに・・謝れるしすごいと思う。

   どこに出しても恥ずかしくないねー。

   この家で一番精神性が高いのかもと思ってしまう。

旦那さんの両親と2世帯同居             

義父 過去の話を聞いているとビックリ仰天エピソードが満載。

   話をしていて、良くわからないまま終わってしまうことが多い。

   車が大好きで最高1年間に4台購入したことがある。

義母 義父と怒鳴り合い、言い合いも多いが仲がいい。

   同居したときは、いつも喧嘩していると思っていたけど、

   旦那曰く、「あれは日常会話です。」「ただの意志疎通です。」と返答あり。

この二人は仲がいいんだけど、片方に予定を言っても、もう片方が聞いてないというきちんと共有しない不思議な関係。

今は長女長男2人とも知的障害はなく普通学級に在籍し、

情緒フォローのため通級指導教室に週1回通っている。

この二人の共通点は、小さいときから集団生活が苦手なこと。

【嫌なことをなぜしなくちゃならないか】ってことがなかなか理解できずにいた。

保育園の時の様子はというと、

長女は女の子のお友達のテンポについていけず、一人で読書をしていることが多かった。

性格が極端で「白じゃなきゃ黒!」バシッと切り捨てるタイプでイレギュラーな事は大泣きする。

運動が苦手で、段差がないのによく転んでいた。運動会は長男と二人してお砂場で遊んでいたなあ。

長男は座っていることが嫌いで、ごはんの時さえ、チョロチョロしてて下手すると椅子に立っていた。

お絵描き、粘土などの時間は「僕は、外で遊んでる○○クラスに混ざってくる。」と勝手に外に出る。

大胆なんだけど繊細な部分も多くて、被害妄想も大きいからS専用の段ボールハウスに閉じこもっていた。発表会、運動会の団体ものは絶望的だった。

【他の子供と何か違う・・・】と思った時、血の気が引いた。

絶望からの始まりだったけれど、後悔がないようにとやれる療育は全部やり、サポートされながら、なんとか年長さんで他の子についていけるようになった感じ。

【仕事を続けながら1日で3か所の療育機関を回っていた自分よ、よく頑張った!】

今、普通学級に通っていられるのは、あの頃から考えると奇跡かなと思う。

欲を出せばキリがないけれど、あの頃に比べたら精神的にも楽になったし、毎日頭にきながらもまあまあの普通の生活ができているかな。

今頑張っている家族に向けて、何かヒントになることがあれば嬉しいです。

少しでも希望を持って、5年後、10年後を見据えて早期療育に望んでもらえればと思います。

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